うまれるときも、旅立つときも、人は選ぶことができない。
どこのどなたのお子にうまれるのか。
どんなところでどんな最後をとげるのか。
月曜日成人の日。
夜、演奏会の下合わせから帰宅すると、携帯に従姉から一報が入っていた。
「訃報」
嫌な感じがして携帯をひらく。
メールには、7日に従姉の夫のS兄さんが亡くなったというお知らせ。
葬儀もすべて終わってお知らせが遅くなりごめんなさい、と従姉。
遠方のワタシを気遣ってのことに違いない。
従姉は、父の本家のあととりで、そのお婿さんがS兄さん。
ワタシは従姉とは17も年がはなれている。
S兄さんとは20もはなれている。
父は生前、「Sちゃんは本当に人柄がいい。最高の男じゃな。」と事あるごとに言っていた。
その刷り込みもあるのか、いや
実際本当に笑顔を絶やさず、人のために尽すことを当たり前とする人。
ワタシの両親の施設のことや、亡くなってからのこと、実家の始末まで、それはお世話になった。
いまでも、毎年福岡のお墓参りのときには、北九州空港までS兄さんと従姉が車で迎えにきてくれ、本家に寄ってご仏壇にお参りし、ひとときのよもやま話で笑ったあとは、また車で山寺の納骨堂まで連れて行ってくれるという、至れり尽くせりなのだ。
昨年の9月のお墓参りのときもそうだった。
それが年明けに急なお知らせ。
言葉もない。
従姉には手紙を書き御霊前と一緒に郵送した。
本当なら、すぐにでも飛行機で行って、手を合わせるべきなのだろうが、19日日曜日にひかえた大切な演奏会のため、時間と体力を使いたくない。
なんと情けないことか。
それもこれも含め、従姉は心身ともにワタシの負担を軽くするべく、連絡を遅らせた。
訃報のメールのあと、ずっとS兄さんの顔が浮かんでいる。
優しい、顔をクシャっとさせた笑顔、白い歯の大好きな人。
また会いにきます。
兄さん、待っててください。
ワタシもあとどれくらい演奏していられるのか。
10年?20年?そんなにないか。
それなら、出来るなら、今を自分で選びたい。
音楽のこと、毎日の生活のこと、体のこと。
少々我儘で身勝手と人に思われても。
あるべき自分の時間を自分で選ぶ。
そうしていこう。
お父さん、きっと「好きに生きてきて、これからもまだ、いやもっと我儘になるんかのう!」と言っている姿が容易に想像できるよ。