地歌(ぢうた、地唄)は、上方で行われた三味線を用いた音曲(三味線唄)であり、江戸唄に対する地(地元=上方)の歌であり、盲人が作曲教授したことから法師唄ともいう。
長唄と共に「歌いもの」を代表する日本の伝統音楽の一つ。また三曲の一つ。
多くの三味線音楽の中でも、最も古くまで遡ることができるもので、多くの三味線音楽の祖であり、義太夫節など各派浄瑠璃や長唄も、もともと地歌から派生したとみなすことができる。
多くが人形浄瑠璃や歌舞伎といった舞台芸能と結びついて発展してきた近世邦楽の中で、舞台芸能とは比較的独立している。
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私が生まれて初めて出会った日本の伝統芸能は、筝曲地歌です。
そして初めて楽器を手にし、好きになった音楽も、筝曲地歌です。
どんなときも、一緒で離れることはありません。
愛すること、喜び、悲しみ、苦しみ、感情感性の発露すべてにおいて、地歌とともに、あります。
これからも、ずっと愛し続け、精進していくべき、音楽です。
楽器の紹介
[地歌三味線(三弦・三絃)の特徴]
中棹に含められているが、地歌の三味線は棹や胴が浄瑠璃系の中棹三味線よりもやや大きい。
ただし細棹三味線よりも更に細い柳川三味線(京三味線)を使う流派も少ないながらある。また糸(弦)も長唄よりもやや太いものを使うことが多い。
棹が胴に接するあたりは、普通の三味線では棹の上面が徐々にカーブを描いて下がっていく(この形を「鳩胸」と呼ぶ)が、地歌の三味線では上面が胴に接するぎりぎりまで高さを保つように作られている。これにより、解放弦から2オクターヴと2度程度までの高い音を出すことができるようになっている(他の三味線は1オクターヴと5 – 6度)。
これを考案したのは、明治に熊本、東京で活躍した九州系地歌演奏家の長谷幸輝(ながたにゆきてる・1843年 – 1920年)といわれる。手事もの地歌曲では高いポジションをよく使用するが、これにより明確な高音が出せるようになった。後にこのつくりは津軽三味線等民謡用の三味線にも取り入れられている。
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箏
江戸時代において、箏は当道制度、つまり盲人音楽家の専売特許であったため、一般人がプロの職業として箏の演奏家になることは認められなかった。このため地歌以外の三味線音楽が歌舞伎や人形浄瑠璃などの視覚的要素を伴う伴奏音楽として発展したのに対し、箏曲は劇場とは関係のない純音楽として発展した。その中心となるものは箏の伴奏付き歌曲である「組歌」と、器楽独奏曲である「段物」であった。そして地歌に合奏することで、多くの地歌曲、ことに手事物をレパートリーとして、大いに発展した。また三味線音楽が遊里との結びつきも持っていて、どちらかといえば三味線が庶民の楽器として普及したのに対し、箏曲は王朝文学に取材したものが多いなど高雅な精神性を持ち、このため武家では「高尚な音楽」として、箏は武家の娘のたしなみ(アマチュア)としてもてはやされた。
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